どうにか生きています。

反吐をぶちまけます。最近筋トレ始めました。

しばらくフェミニズム的な記事を書くの辞めようと思います

 

といいつつ書いちゃうかもしれないですけど、やっぱり辛いんですよね。自分の経験を思い出して話す事はもう一度経験した事と同じになりますけど、ブログ記事を書くのもそれと似たようなものなんですよ。女性差別とか性犯罪とかセクハラとか暴力を受けたとか男に寄生されてるとか他人のそういう話をツイッターやブログで読むのも苦しいです。影響されますし、おそらくそれが原因で昨日は主治医に抑鬱と診断されましたし。

というかそれだけが原因じゃないですが、ずっと抑鬱だったと思います。ほとんど何も手が付けられない時期がここ数年あったので。

あとブログを書くのも直接話すよりは大丈夫なんですが、それでも自分と向き合うし辛い経験も話も書くことになるし、その上文字で「可視化」されてやはり辛いです。

 

かといって楽しい事を書こうかと思っても、正直今はあんまり「楽しい事」がないんですよね。私の今の生活も単調ですし。不幸な事が起きていないだけまだいいかもしれませんが。不幸ではないですが、特別幸せでもないって感じです。でも世界中で虐待されたり殺されたり迫害されてる女性が国内外で居る中で、私は幸運で恵まれている方と思います。両親からは人間扱いされて育ったし、発達障害の診察にも過去に起きた強○事件も理解があって治療にお金使ってくれてますし。

どうせだったら強○事件なんてなければよかったんですが、主治医の話とかカウンセラーの男性の話を聞いてると私はまだ両親が理解があるだけいいというか。

 

ブログもツイッターも楽しいことだけ見ようかなと思いたいんですが、結局見ないからと言って女性差別性犯罪セクハラDVとか女に金をたかったり暴力をふるって奪う男とか「その現実」が無くなるわけじゃなくて「在る」じゃないですか。

つくづく小説家ヴァージニア・ウルフが言っていた「女は男を二倍拡大してみせる心地よい魔力を持った鏡としての機能を果たしてきた。もし女が真実を話せば男の姿はたちまち縮んでしまうだろう」は真実だなと実感しています。

 

娯楽として漫画とかネトフリックスで映画とかみても結局公式の女性差別がチラついたり所詮は「作り話」とか思ってしまったり、こんなに上手くいくはずないと思ったり、やっぱり「こんなまともな男がいるわけない!」と思ったり。かといってドキュメンタリーでも男が出てくると不信と嫌悪感が…。ドキュメンタリーでクソ男が出てきたら余計にげんなりするし…。たまに「まともな男」がドキュメンタリーで出てきてもいつ変貌するか解らないし、結局不信感が…。

かろうじて見れるのが動物とか自然のドキュメンタリーです。

 

 母にようやく似たような事を話したんですが、母は性格が明るいしツイッターもネットも見ないアナログ人間なので結局「現実」を知らないで済むというか、目に入ってこないというか。この気持ちはわからないよなと思います。

 

現実の男から女性が被害にあっても世間が勢いよく非難してくれるならまだ救いはあるんですけど、 実際は逆だったり「見抜けない方が悪い!」と得意気じゃないですか。例えば低賃金を「夫に養ってもらえればいい」と正当化されている女がお望み通りちょろっと男に経済力を当てにしたら「金目当て!」と男からも女からも非難されるけど、男が女性に地位や「金目当て」で近づいても相手をリスペクトした良いやり方と見る方が多いし、非難の声なんて皆無に近いじゃないですか。エロティック・キャピタル すべてが手に入る自分磨きという本でもその事は描かれていましたし。

 

結局繰り返し繰り返し救いのない女性差別の現実を見せつけられるから、私は「抑鬱」になったと思います。おかげで勉強できる環境は幸せなのに、あまり集中できません。

こう暗い気分が続いてたまに一気に深くなる感じ。