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愛と哀アメリカ黒人女性労働史の引用一覧

 

 

愛と哀―アメリカ黒人女性労働史

愛と哀―アメリカ黒人女性労働史

 

 

 

前書きから黒人女性は奴隷と女性と二重の差別でこき使われてきたと書いてあります。

 

黒人女性たちは、今世紀初頭の酷暑にうだるヴァージニアのタバコ工場であれ一九五〇年代のシカゴの白人女性の台所であれ、骨の折れる労働をし性的先入観の重なった人種差別の重みを感じてきた。その賃金のとぼしさは、彼女たちの肉体労働の激しさにも、家庭において彼女たちに負わされた扶養義務の大きさににも、いちじるしい対照をなしている。(P13)

 

そして黒人女性は家族を養っていた。 

 

彼女たちには、本来なら意味ある形で社会的な力を彼女たちに保障してくれたはずの自分自身の生産エネルギーも、物的資源も、意のままにはできなかった。

おそらく狭い意味の性役割の因習からは「自由」で、あるいは「解放」されていただろうが、彼女たちは給料を稼ぎ子供を育てるという圧倒的に責任にしばられたままだった。(P18)

 

まるで女たちが働いていないみたいな言い方する男(と女性)ばかりですが、むしろ(この本は黒人女性を取り上げていますが)女性は男より働いている。

 

女奴隷たちは、黒人として、主要商品作物の生産において彼女たちがもつ技術や肉体的な力のゆえに搾取されており、また、女としては、個々の奴隷所有者の財政的利益にも、奴隷制度一般に内在している膨張的体制にも不可欠である再生産機能を果たしていた。(P23)

 

しかしながら、女奴隷の労働に対しては、奴隷主が残酷なほどさらに身勝手な態度をとった、そこには「平等な」黒人労働者”としての”女と、不平等な生殖者”としての”女の概念のあいだの相互作用(ときには葛藤)が現れていた。奴隷主は洗濯、アイロン掛け、料理など女だけにさせる仕事を別枠で定めておきながら、それと全く同じように「当然」女奴隷に綿の若木の除草や間引きをさせた(P24) 

 

今でもこのコロコロ言説を使い分けて女をこき使うとする、実際使う現象よく見ますね。(例:女は強いと女をこき使ったり我慢させたり虐めたり、女は弱いといいながら女性差別を正当化する)

 

他にも黒人女性の立場は日本女性も同じ立場、と思う箇所がここには書ききれないくらい何回もありました。

「黒人女性はこの世の驢馬」とか。日本女性(だけじゃないけど)は日本男児様の奴隷や家畜、あるいは家畜以下として扱われていますね。

しかし100年は前の奴隷の黒人女性と立場がほぼ同じな日本女性もなんなんでしょうね。女の人生は過酷”以上”。