どうにか生きています。

レズビアンで発達障害で性暴力サバイバーで男嫌い。反吐をぶちまけます。初めての人はカテゴリから「はじめに」をご覧ください。同居者は両親と猫達と犬

毎日嫌になります

 

 

毎日毎日男が女性を狙って性犯罪や殺したりする陰惨な事件ばかりでうんざりします。表に出てきてこれだけあるのだから、表にでてこない暗数は無茶苦茶あるんだろうなと実感します。

見なければいいという話ではなく、こんな陰惨な事件を起こす男が存在しているのが問題なんですが。

 

日本が治安がいいなんて嘘ですよね

アナと雪の女王の感想


見直しましたが、当時は「いい映画!」と思っていたんですが、映画館でなおかつ3Dで見たからと、私自身が雪と氷のモチーフが好きなので余計に割増しで評価が良く感じていただけと思いましたね。

あとレズビアンなのでエルサとアナエンディングが個人的には好みだったなぁ。アナはクリストフとくっついちゃったけど、別にそこ必要なくない?アメリカはカップル単位社会だから

あと主題歌が良かったんだよなぁ

 


松たか子さんの「ありのままで」もよかったけど、それは日本語訳ではなくて日本語でしたね。字幕の方が原曲のニュアンスを読み取っています。おかげで日本男児から「ありのままなんてブスが言うな」と爆笑問題の太田に中傷される始末。じゃあお前は人の事いえる面してんのかい。

そもそも「手入れ」すらしなく「ありのまま」を厚かましく要求してる男はとても多いのでは。

 

相変わらずディズニーなので雪や氷の結晶の再現度も凄いし、エルサが氷や雪を出して城を作るなんて少女の心をくすぐられます。やってみたい。

なんか当時は「男は必要ない脚本」とか男からいちゃもん言われていますが、アナは雪山詳しいクリストフが居なければ、凍死していたか狼に食べられていましたよ。それにクリストフは最後は見事アナとくっつき、自分は金も地位も顔もないのに王族の後ろ盾と王女の恋人を手に入れて生活に困ることはなくなったわけで、クリストフ大出世物語じゃないですか。

男だったら雪だるまでもオラフも大活躍。ハンス王子に裏切られたあとのアナに、アナを自分が溶けるのも構わず暖炉に近づけて火をつけてアナを温めます。

最後はオラフも王族に伝手が出来ましたし、エルサの力で一年中季節を溶ける事なく楽しめます。 ハンス王子が裏切ったのはむしろ若いイケメン王子にコロッと騙されるなよテ身近で妥協しろという「お姫様ファンタジー」を否定して、むしろ女性に都合の悪い展開と思いましたね。会場でハンス裏切りで泣いていて女児がいたといいますし…。

 

私の結論は結局女性に都合がいいと見せかけて、実は男性にこそ都合がいい映画でした。

 

 

 

 

映画ピーターラビットを見ました。

 

日本語版予告と現地の予告は全然違うのは予告を見比べて解っていたのですが、予想外にトムとジェリーみたいな感じでした。原作に出てきた高齢男性のマグレガ―さんが心臓病で亡くなり、甥のハロッズ勤務だったトーマスマグレガ―がビアとピーターが住んでいる田舎に引っ越してくる所から話が始まります。

それで日本と違うなぁと思ったのはハロッズの支配人が黒人女性で、大叔父の住んでいた家に行くために乗ったタクシーの運転手が女性な所。

日本だとどっちも男にしますよね。実際のハロッズの支配人が黒人女性じゃなくてもポリティカルコレクトネスが守られてるなと思います。

 

話としては子供に見せるのはあまりよくないかなぁ。ピーターがトーマスに電流流したり暴力振るったり、トーマスもピーターに暴力振るったり電流流したり爆薬投げて反撃したり。アメリカのアニメサウスパークみたいな…?

 

映画の内容は、そもそもピーターたちが狙われるのは他人の畑を勝手に荒らしている方が悪いんじゃない?とか思いつつ、結構楽しめました。ポリティカルコレクトネスに配慮している海外の映画とか見ていると、邦画は話がつまらないわCGもしょぼいわ、PCに配慮すらしてないわ公式スタッフが女の金で経営が成り立っていても女性差別発言するわで、安くない金だして見る理由もないかなと思います。

 

 

 

 

結局男尊女卑もフェミニズムも「同じ場所」を目指している

 

モアナの映画をBGM代わりに流してるんですが、モアナの主題歌で「どの道を進んでも決めたのは私自身」という歌詞があります。

 

 

日本で2013年に放映されたアニメ「キラルキル」というのがあるんですが、そのアニメの男性監督が映画パシフィックリムの公式イベントの時、自分が作った映画でもないのに女性の数が多いからって「女のものじゃない!男のもの!」とか男尊女卑発言でふんぞり返りました。

(ちなみにデルトロ監督は「パシフィックリムはみんなのもの」「この映画のメッセージはシンプルさ。性別人種宗教国籍関係なく助け合うこと」と言ってましたね。男のものとかいう割に、当の男性様はメッセージ読み取れてないやんと思います)

そのキラルキルのアニメですが、主人公が「私は私の道を行く!」という発言がありまして、男尊女卑発言をした監督と日本より女性差別や人種差別をなくそうとしてポリティカルコレクトネスに配慮した作品が「同じ発言」をしているんですね。

 

結局はこのブログ記事みたいなこういう事なんだろうなと思います。

kinoko2002 ベクデルテストの歪曲記事が酷いというトゥギャについたキモヲタネトウヨミソジニー野郎のコメントがまた輪をかけて酷い

 

結局はそれぞれの国に合わせたそれぞれの男尊女卑があるって事なんでしょうね。

日本で女性を活躍させても「都合の良い奴隷度」が上がっただけにしか見えません。日本にアニメ・ゲーム・漫画は「女性を活躍」させてもキモ男タが喜んでいるから男尊女卑で、西洋(と言っても幅広いけど)だと「女性を活躍」させると男がヒステリー起こすから「フェミニズム」なんでしょうね。

 

「続地球家族」という本があるんですが、日本も含めたアジアヨーロッパ20ヶ国の女性に取材した本で女性が女性に、そして外国人なので話しやすいのか「本音」が記載されています。

そこでとあるアジアの国では女性差別が酷いんですが賃金労働するのが女性で、でもその給料を受け取るのが男なんですよね。そして家事も育児も女の仕事。

ちなみに私の友人はマンションを買えるくらい稼いでいますけど、男から「養ってくれ」(※でも家事育児も女の仕事)で、おまけに絶世の美女で家柄も良いんですよね。友人。それで男から外見家柄性格の良さまで含めて迫られているんですね。

自分たち男は女に金家事育児介護に学歴若さと美貌を要求して、自分は顔も体悪い性格も悪い家事育児介護しない、金も地位もなくて厚かましい要求をする。そして女性差別も強姦性暴力もセクシャルハラスメントも容姿差別も年齢差別も無くさない。

途上国と先進国(とされてる日本)要求されるの同じか、それ以上やん。

むしろ急進的な男女平等のレトリックで、批判されるより男尊女卑は力を得たと思います。

実際アジアで一番女性差別が少ないフィリピンも女が女性差別が少ない環境で稼いで出世しても 男は女の金にたかった挙句、家事育児も任せて寄生れています。結局男が得をするのは変わらないじゃん。

 

実際私が小さい頃みた機能不全家族の番組では、父の虐待に苦しんでいた娘は父に給料勝手に前借されて使い込まれていましたし、あと妻や彼女に暴力振るって金奪ったり、騙したりたかったりして金や家事も性もありとあらゆる労働を「搾取」する男なんてうようよいますよね(見抜けない女が悪いとか言うなよ。だとしたら男にも同じ台詞言えよ)

女性差別がなくなりつつあって女に経済力がつくろ「無限大にこき使える奴隷度」が上がるだけですね。女が稼ぐ意味ってなんだろうって思いますし、女性差別や性犯罪がなくなろうが得するのは男なんだからよくね?って思います

 

 

 

 

 

 

最近見直した映画の感想

 

 

 映画館で見ましたけどもう一度見直しました。

フェミニズムの観点から評価高いけど、どこがフェミニズムの観点から評価できるか?

って思いましたね。

結局動物に置き換えても男女の関係はそのまんまだし、ステレオタイプはよくないと言いながら女に男のケアを押し付けるステレオタイプはどうなの?って思うし。

結局小さい頃に肉食動物の狐に怪我を負わせられたジュディが過去の経験から狐を警戒したらニックが被害者面するとか、これ現実で「男を警戒しろ!」と言っておきながらお望み通り警戒したら「男をみんな犯罪者扱いするなー!」とか被害者面してビービ―喚く男そのものじゃないですか。

電車の中で肉食動物を警戒している草食動物の親子を悪く描かれてるけど、実際に権力差と体格差とあって、散々肉食動物に捕食されてきたんだから警戒するのは当然じゃないですかね。草食動物に肉食動物を偏見の目でみるのは止めろというのなら、逆に肉食動物が草食動物への差別や偏見は止めるのか?って思いますし。

結局ニックの過去も加害者が男で男が原因だし、ホモソーシャルが原因なんだから男や男社会が元凶なのに、それを女にケアさせるのはやめろって思います。男社会とホモソーシャルで美味しい思いをしておきながら、都合のいい時は女にすり寄って助けてもらうってのがいかにも“男らしい振る舞い”って思いますよ。

 それにジュディだけが卑屈なくらいに反省させられるのも、女にだけ「いい子ちゃん」を強要させられる世の中の反映で全然目新しくないというか。ジュディが一度警察官を辞める事にした時「お前のような優秀な警察官が必要なんだ」とか、雄の水牛の署長が言い出した時もジュディは最初から優秀だったやんって思いました。しかも警察学校を首席で卒業したんだから優秀“以上”じゃないですか。

ウサギで雌だからって、最初から見下して差別して評価してなかったのお前ら雄やん!

せめて男女バディじゃなくて女同士バディだったら良かったのになと思いました。がっかりした。最後の黒幕のヒツジ(女性差別で苦しんでる事の隠喩が描かれてる)の苦しみもなかった事にされてるし、原因は肉食動物と雄(男と男社会の女性差別)なのに「女同士の戦い」みたいな事にしてるし、結局男達で監督脚本やってるからですねハイハイとしか思えませんでした。

”話そのもの”は面白かったと思いますよ。主題歌もよかったですし。

 

 

 

 

「モアナと伝説の海」を見直しました。一度は映画館で見てるんですが、久々に見直しました。

久々に見直しても、これがフェミニズの観点から評価を受けているのか、ズートピアと同じく理解できないんですよね。でも日本のアニメと違ってモアナが村長となるべく育てられているのは良かったと思います。日本だったら確実に娘に跡を継がせるんじゃなくて「婿取りして…」ってなりますよね。

 

なんか「女性が活躍」ってなると、いちいち他の登場人物の男性にも気遣わなきゃいけないのが引っかかるんですよね。今回のマウイみたく 女性が活躍するなら男性の抱えてる問題も解決☆みたいな。私の好きなゲームの一つでもある幻想水滸伝5でも、男性スタッフの攻略本でのコメントで舞台となるのが女性優位の国だから、ただの女尊男卑の国にならないようにしたってあって逆ならその配慮します?って思いましたね。

 

 

 

 

マウイも別に美形じゃないしブ男だし、ポンポンモアナを海に放り込むのが現実にこんな乱暴な男いるので見ていて嫌だったですね。そもそも事の発端はお前やんって思います。

それにモアナの父もブ男なのに、母親は美人でモアナも可愛いのでどこがフェミニズムの観点から評価出来たんだろ…って思います。これはズートピアにも言えてジュディの体型はウサギっぽくなくて、変なくびれと胸がありましたし。ニックは狐のまんまの体型なのに。

最近のディズニーアニメは「女だってなんでも出来る!」という事を強調しすぎな所為か、男が抱えてる問題で男が自分自身で解決しなければいけないのに、女性になんでもかんでも背負わせすぎな気がするんですよね。形を変えた男尊女卑というか。というか女になんでもかんでも背負わされているのは男尊女卑社会でも変わらないですし。尾鷲られているのがありとあらゆる奴隷労働ですけど。

それに、モアナはまだ未成年の子供じゃないですか。いくら小さいうちから村長となるべく育てられたととして帝王学を教えてもらってるとしても、背負わせすぎじゃないですかね?

 

でも話そのものは面白いですよパート2。主題歌も良かったですし。

けれどもフェミニズムの観点からみての評価はそこまでの事か…?と思います。

フェミニズムの観点から評価するならモアナ>>>>>>>ズートピアですが。

 

 

 

 

 

 

 

アトミックブロンドを見ました

 

公式サイトは↓

 

シャーリーズセロン演じる主人公が男を殴ったり打ち殺したりしている時点でスカッとして見応えがあります。もっとこういう女が女を見下している男をボコボコに殴って打ち殺す映画が出てこないかなと思います。

 

冒頭でシャーリーズセロン演じる主人公ロレーンが氷の入った水風呂で傷を癒す場面とかそこでもアクションの為に鍛えた背中が見れて幸せです。

女性がアクションの映画って主人公が不思議怪力に恵まれて「これは無いよ」ってのが多かったんですが、この映画は監督がスタント役者って事もあり、シャーリーズセロンみたな細腕でも男達と闘うにはどうしたらいいかってのをシュミレーションしてるんですよね。だからあまり嘘くささを感じませんでした。研磨された動きを取っています。

 私も格闘物とかは好きなんですが、無駄な正攻法で女と男が殴り合うのは見てられないので、アトミックブロンドみたいなアクションだったらいいなと思います。

 

それとレズビアンとしては女同士のベッドシーンがあるのも嬉しかったです。

でもそのスパイのデルフィーヌは最後が殺されてしまうのが残念でした。スパイものなら別におかしくないんでしょうけど、でもなぁ…って感じで。けれども黒髪美人と金髪美人が並んでる姿は眼福でした。

これを映画のスクリーンでみたかった!

見に行こうと思っていたらご近所で上映が終わっていたんですよね。

 

アトミックブロンド、続編も制作予定らしいので完成してほしいです。

 

 

 

愛と哀アメリカ黒人女性労働史の引用一覧

 

 

愛と哀―アメリカ黒人女性労働史

愛と哀―アメリカ黒人女性労働史

 

 

 

前書きから黒人女性は奴隷と女性と二重の差別でこき使われてきたと書いてあります。

 

黒人女性たちは、今世紀初頭の酷暑にうだるヴァージニアのタバコ工場であれ一九五〇年代のシカゴの白人女性の台所であれ、骨の折れる労働をし性的先入観の重なった人種差別の重みを感じてきた。その賃金のとぼしさは、彼女たちの肉体労働の激しさにも、家庭において彼女たちに負わされた扶養義務の大きさににも、いちじるしい対照をなしている。(P13)

 

そして黒人女性は家族を養っていた。 

 

彼女たちには、本来なら意味ある形で社会的な力を彼女たちに保障してくれたはずの自分自身の生産エネルギーも、物的資源も、意のままにはできなかった。

おそらく狭い意味の性役割の因習からは「自由」で、あるいは「解放」されていただろうが、彼女たちは給料を稼ぎ子供を育てるという圧倒的に責任にしばられたままだった。(P18)

 

まるで女たちが働いていないみたいな言い方する男(と女性)ばかりですが、むしろ(この本は黒人女性を取り上げていますが)女性は男より働いている。

 

女奴隷たちは、黒人として、主要商品作物の生産において彼女たちがもつ技術や肉体的な力のゆえに搾取されており、また、女としては、個々の奴隷所有者の財政的利益にも、奴隷制度一般に内在している膨張的体制にも不可欠である再生産機能を果たしていた。(P23)

 

しかしながら、女奴隷の労働に対しては、奴隷主が残酷なほどさらに身勝手な態度をとった、そこには「平等な」黒人労働者”としての”女と、不平等な生殖者”としての”女の概念のあいだの相互作用(ときには葛藤)が現れていた。奴隷主は洗濯、アイロン掛け、料理など女だけにさせる仕事を別枠で定めておきながら、それと全く同じように「当然」女奴隷に綿の若木の除草や間引きをさせた(P24) 

 

今でもこのコロコロ言説を使い分けて女をこき使うとする、実際使う現象よく見ますね。(例:女は強いと女をこき使ったり我慢させたり虐めたり、女は弱いといいながら女性差別を正当化する)

 

他にも黒人女性の立場は日本女性も同じ立場、と思う箇所がここには書ききれないくらい何回もありました。

「黒人女性はこの世の驢馬」とか。日本女性(だけじゃないけど)は日本男児様の奴隷や家畜、あるいは家畜以下として扱われていますね。

しかし100年は前の奴隷の黒人女性と立場がほぼ同じな日本女性もなんなんでしょうね。女の人生は過酷”以上”。